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はなえ
現役保育士。
物販事業に失敗して借金300万円。

そんな時になまいきくんに出会い
物販からX運用に転身。

運用開始
✅10日後に10万円
✅30日後に20万円
✅3ヶ月目に2週間で65万円
のマネタイズに成功。
副業成功事例は初。

2025年3月に保育士退職予定。
崖っぷち女の起死回生story。
ブログに書けない話はこちらから~消費者金融4社ブラック入り&借金300万円超え崖っぷち女がX開始10日で10万円稼いだ方法

はなえのこと

はなえ

こんなところまで見てくれる人かなりマニアック(笑)
でもうれしい♡愛しとるよ♡

でもあんまり語ることがないんよね。

と言うか、取り立てて語りたいと思うようなことがないとでも言うか。

それなりに苦労した方だと思うけど、苦労話をするのがあまり好きじゃない(笑)

何の悩みもなさそうな
能天気なヤツ

はなえ

こう思われてる方がやりやすい(笑)

でもせっかくこのページを開いてくれた人のために、濁すところもかなりあるけど、チラ見せするね♡

はなえ

Xのはなえのキャラを知っている人は20代そこそこだと思ってるのかなとw

年齢不詳キャラでやって行きたかったんだけど、私の年齢が気になっている人が割といて、DMで聞かれることもある(笑)

若いし独身で子どももいないから
そこまで動けるんでしょ?

ってことかもしれないが…

はなえ

確かに独身で子どももいないが、若くはない(笑)

私は子どもの頃に阪神大震災で被災した。

阪神大震災は、2025年の1月17日で30周年なので、年齢は少なくともそれ以上。

ちなみに、詳しく語りたくないのでやめておくが、この震災を境に色んなことが一瞬で変わった。

日本には他にも大きな震災がいくつかあった。


経験をしていない人にとっては、いつの間にか風化していくし、思い出すこともないと思う。

確かに当事者も月日が経つにつれ傷は癒えるし、日常で思い出すことも少なくなる。

それでも、乗り越えるとか、乗り越えないとか、そんな次元の問題じゃないものを抱えて生きている人がこの同じ日本に今でもたくさんいる。

それに比べたら

副業で失敗して
借金作ちゃった

とか

家賃払えないから
家を
追い出されちゃう

とか

はなえ

だから何?
そんなものはエンタメみたいなもんやん。

って思うのだ。

生きている限り何度でもやり直しがきくのだから。

とは言え、これは今だからこそ言える話で、かつては

なんで私みたいな
無能人間が生き残ったんだろう

こんな風に「生きることの意味」を見失い、ただ息をしていただけの時期もあった。

それでもここまで復活&成長できたのは、紛れもなく

人の力なのだ

私自身は非力でも「人の力」に支えられここまで来ることができた。

そのことも含めながら、書けることをピックアップしたいと思う。

はなえ

興味があれば続きも読んでみてね♡

高校生の時に訪れた人生の原点

子どもの頃は本当に根暗な子で、そのせいかいじめにも遭った。

何か言われても、言い返せるようなマインドも持ち合わせてなかったし、ただひたすら耐えることでその場をしのいでいた。

休み時間はいつもひとり。

教室に「日本の歴史」があったのでそれをずっと読んでいた記憶がある。

ただ、私はそんな状況でも、不登校にはならなかった。

単に家も居心地が悪かったから【家】か【学校】の2択だったら

学校かな

という理由で学校に行っていただけだ。

そんなこんなで、今だからこそ笑って言えるのだが、諸々のお陰で私はかなりたくましく成長したと思う(笑)


高校生からは自分の学費と、家に入れる生活費を稼ぐような生活をしてきた。

私の人生はいつも【貧乏】と隣り合わせだったからだ。

スーパーとパン屋のアルバイトを掛け持ち。

食材系のアルバイトを選んだのは、余りものを頂けると思ったから(笑)
そのためシフトはいつもラストまでを希望。

自宅のガスや電気を停められている時は、スーパーで全員帰ったあとに、食器洗い場でお湯出して髪の毛洗ってたw

はなえ

あれ、めっちゃ首痛くなるんよw

ちなみに電気・ガス・水道のうち必ずどれかが停められているのが我が家のデフォルト。

水は命に直結する大切なもの。
水道を停めると「死」が見えるから、水道は支払いを待ってくれる。

それでも3つとも払えずに三大制覇したこともあったw

高校は、普通はバスと電車を乗り継いで行くような場所にあったけど、定期代がもったいないので徒歩で通ってた。

しかも山の上だったから毎日が登山みたいなものね。

そのお陰かいつの間にか脚力がついて、帰宅部のくせに、マラソン大会では陸上部を差し置いて上位に入賞(笑)

積立金が用意できない(そもそもする気もなかった)ので、風邪を引いたという嘘の理由で、修学旅行は欠席。

友だちは必要以上に作らなかった。
色々と聞かれるのも面倒くさいし、遊びに誘われて、断るのも疲れるからだ。

アルバイトばかりで勉強してなかったし、成績も後ろから数えた方が早い。

そもそも勉強なんてしたところで、大学に進学できるお金なんてないし、意味がないと思っていた。

はなえ

なら高校辞めたらよかってん。

って今なら思うけど、「ひとまず高卒」という他の人と同じレールの上を歩くことが、当時は疑う余地なく自然なことだった。

担任は私の事情を知っているので、腫れ物に触るような感じで接してくるのがよくわかった。

いつの間にか、大人のそういう空気感というものを敏感に感じ取るようになっていた。

腫れ物に触れるような態度を取られるのも面倒臭いので、この頃から余計なことは言わない性格になったのかもしれない。

はなえ

高校生にしては冷めてるよね~(笑)

高校2年生の3学期~ある日のこと~

高校2年生の3学期と言えば、みんな進路も、受験する大学も決めている。

私はアルバイトに明け暮れていて、進路についてなんて何にも考えてなかった。

と言うより、「卒業したら今働いているアルバイトをそのまま続ければ良いか」なんて軽く考えていた。

そんな2年生の終わりのある日、学年主任の先生が私に声をかけてきた。

それが進路に関してだった

担任には進学は考えてないと伝えていたし、なんでだろうと不思議に思った。

そして学年主任の先生が私に持ってきた話が、保育科の短大の指定校推薦についてだった

指定校推薦って、学校から一人しか推薦できなくて、成績優秀者が受けれるやつでしょ?

なんで成績の悪い私が?

まるで意味がわからなかった

理由もわからずに、先生から資料を見せられた時に、私はこれまでの人生でBest3に入るくらいの感銘を受ける事となった

ちなみに当時、保育科の名門だったこの短大。就職率は99.9%。
短大と言えど難関だ。

先生の提案は

この短大を指定校推薦で受けて
主席で合格しなさい

というなんとまあ
トリッキーな内容だった(笑)

この短大に入れば

①良い学歴がつく

➁確実に資格が取れる

③就職がしやすい

➃この資格があれば一生働き口に困ることはない

⑤指定校で主席で合格すれば入学金と1年目の授業料が無償になる

⑥2年目の授業料は奨学金を受ければ行ける

というのが先生の考えで、私の事情を踏まえてのことだった。

さらに条件まで提示された。

今のままでは内申点がないから
指定校推薦はできない

3年の期末考査では毎回
学年で10位以内に入りなさい

はなえ

いや無理でしょw

1クラス40人のクラスが全部で10クラスあるから学年で400人。

私は普通科で、文理クラスと理系クラスを除いても320人。

はなえ

そのBest10に入るだなんてw

無理ゲーすぎるのでこの時は「変こと言ってるわ」くらいにしか思ってなかった。

でも先生が用意した資料を見たときにその考えは覆ることになる。

先生が独自で調べたであろう形跡がそこにはあった。

資料の余白には文字がびっしりと書かれていた。

当時はバリバリのネット社会ではなかったので、もちろんパソコン1台で全てわかる時代でもない。

資料は自分で注文して郵送で取り寄せないといけない。

聞きたいことがあるなら電話か、何なら自分で大学に足を運ぶ必要すらある。

奨学金をいくら借りたら、毎月いくら返済して、何年くらいで完済できるのかとかそんな手書きの計算式とかもそこには書かれていた。

学年には私の他にも
あと399人いる

そもそも担任ではないし、私のことなんて放っておいてもいいのだ。

貧乏で目立たない
地味な私なのだから

先生の人生にとって
私の人生なんて関係ないはずだ

時間は命と同じで有限。

それなのに、この先生は400人もいる中の「このたったひとり」の私のために、この文字を埋め尽くすのにどれくらいの時間を使ったんだろう

それを思ったら、言葉ではうまく言い表せないけど、なんか込み上げてくるものがあった

はなえ

気付いたら「やってみます」とか言ってたw

先生の、この私にかけてくれた時間を「やりません」の一言で片づけて無駄にすることができなかった。

この考え方が今でも原点になっている。

人の時間を使うという行為は相手から命をもらう行為だ

だからこそ、恩返しは「結果を出すこと」だと思っている。

そして、私は自分一人では何もできないが、そこに尊敬できる人とか、信頼できる人とか、そういう人が現れた時に、実力以上の何かを発揮するシステム人間のようだ(笑)

話を元に戻すが、私は保育士をしていることをポストしている。

え、保育士になったってことは
大学に主席で合格して
学費免除になったの?!

って思うかもしれないが、結論、主席では合格できなかった

それまで勉強してこなかった奴なので、人生ってそんなに甘くない(笑)

はなえ

じゃあどんな経緯をたどって保育士になったのか伝えるね!

そもそも論、普通にお金さえあって、入学金さえ用意できれば、指定校推薦じゃなくても一般入試の補欠の一個上くらいでも入学できるのだ

でも私の場合は、入学するのに指定校推薦を獲得して尚且つ1位で合格することが絶対条件。

2番とか3番では意味がない。

てっぺん以外はダメなんよ

こんな一か八かのがけっぷち受験に向けて勉強する人がどこにいるだろう(笑)

ただ、その時は「もしもうまくいかなかったら」なんて考えてなかった。

先生が自分にかけてくれた
時間をものにしたい

これしか考えてなかった

はなえ

ここで能天気で後先をなーんにも考えないバカなはなえちゃんが爆誕したのかもw

生活費は惜しかったけど、テストの1週間前からはアルバイトを減らした。

2年生の時点で成績は320人中290番くらい。
理科学が特に苦手で、数学・科学に関しては320人中319位とかそんなんだった覚えがあるw

かなり端折って言うけど、それが

2年生の3学期

期末考査で学年100位以内に

3年生の1学期

中間考査で学年10位
進級した最初のテストで10位まで上り詰めて、

期末考査では
学年トップになった

は?!学年トップ?!
嘘でしょ?!

はなえ

って誰だって思うはずw

テスト結果なんて残してないし、証明はできないけどほんとなのだ。

3年の中間考査で10位を取れた時、素直にすごくうれしかった。
それならもっと上を目指したいと思うのは当然のことだった。

当たり前だが塾なんて通ってない。

ただ、私は先生の言われる通りに勉強に取り組んだ

寝ずにやれとかじゃない。
寧ろ夜21時以降は勉強するなだった。

覚えてることでざっと上げるとこんな感じ

✅夜21時以降は勉強するな

✅やるなら朝5時に起きろ

✅古典と英語は同じ勉強法だ

✅数学は全問正解できるまで反復して解く

✅社会はひたすら暗記

✅暗記する時は座ってやるな

✅歩き回りながら声に出して覚えろ

はなえ

最後のやつなんてもはや意味不明w

それでも、教科書を深緑のマーカーで塗りつぶしまくって、赤い下敷きで隠して、公園とか家中を歩き回りながら暗記していたのを今でも覚えている。

先生は、これを「恥ずかしい」とか「バカみたい」とか言って素直にやる奴はほとんどいないと言っていた。

そして学年トップを取った時、先生は一言

はなえだからできるに
決まってるだろ

はなえは素直だからな

先生はいつもこれしか言わなかった。

はなえ

かなり頑固な方だと思ってたけど(笑)

どうして元々は成績が悪かった私にこの話をしてくれたのか、真意を聞いてみたかったけど、聞かなかった。

結局、真意とか理由なんていらないんだと思う。

✅「お前はバカだ」と言い続ければその人は本当にバカになるし

✅「お前は素直だ」と言い続ければ素直になっちゃうし

✅「お前は天才だ」と言い続ければ何かの天才になってしまう

はなえ

極論かもしれないが私はそう思っている(笑)

その後、無事に指定校推薦も頂けて、短大は受験したんだけど、さっきも言ったみたいに主席では合格できなかった。

むしろ2番でも3番でもなかった。

自分よりもレベルの高い高校から受験する人がたくさんいるのでそれも当然と言えば当然だ。

ただ、私の中ではとても満たされた感覚があった。
このまま高卒でも十分だった。

私はやればできる

っていう自信につながったことと

どんな時も必ず
力になってくれる人がいる

ということがわかったからだ。

心に灯りがともった瞬間だった。

当時の私はそこまでは考えが及ばなかったけど、今になって考えてみると、

先生は初めから私がこう変化するのがわかっていてそこから逆算して自然に見せかけながら指導してくれていたのだと思う

きっと、私の先の人生を考えてのことだ。

本当にすごい先生だ。もう尊敬と感謝しかない。

私も大人になったら
こんな人になりたいなと思った

人間社会で渡り歩いて行くには
素直さが大事だと学んだ

はなえ

そしてこの話にはまだ続きはあって。

受験した短大の学長から直々に私のことについて高校に連絡が入ったからだ。

✅私の2年生から3年生になってからの成績の飛躍的な伸び

✅私が書いた高校生活の作文

これが学長の目に留まったらしかった。

「受験生の情報や答案を学長が見ることあるんだ」ってびっくりした(笑)

私はその作文に、主任の先生から受けた感銘について書いたのだが、それを読んだ学長がどうやら私を入学させたいと思ったらしい。

その後、主任の先生が直接短大に行き、学長と話をしてくれた。

結果、異例の極秘案件で
入学金が免除になった

はなえ

あとはご想像の通りで私は短大卒で保育士になった。

何が一番感銘を受けたかと言うと、

学年トップになったことでも
大学に入学できたことでもない。

こんな私のために、頭を使い、足を使い、時間をかけて、動いてくれる人がいるということだ。
これは当たり前のことじゃなくて、それが当時の私には死ぬほどうれしかった。

私がもしもぬくぬくと育っていたらそんなことには気づかなかったはず。

はなえ

だって元々はしてもらうのが当たり前で、人に感謝することなんて知らない甘ちゃん人間だったから(笑)

失ったものは大きかったけど、これまでの人生を通じて【なかったからこそ気づけたもの】もたくさんあったと思う。

ちなみに担任はこれが
面白くなかった

自分には一切なつかずに、私が主任の先生ばかり取り上げるからだ。

それまで、腫れ物に触るような態度から一転して、私をあざ笑うような態度を見せるようになった。

クラスメイトも

ちょっと成績があがったから
いい気になっっちゃて

なんて言う人もいた。

でも結局これが人間社会なのだ。

育った環境も、価値観も、考え方は十人十色。みんな違う。

何より、人は自分の生きて来た世界しか知らない。

その人の人生背景まではわからない。

担任だって、クラスメイトだって、目には見えない事情を抱えてるかもしれない。

だから、担任も、クラスメイトも、そうなってしまうことは仕方ないことだし、そうせざるを得ない事情があるんだから別にいいやんって思う。

担任は主任の先生にも冷たくあたっていたが、どんなときも笑顔で淡々と対応する主任の先生を見て、私はこっち側の人になりたいと思った。

はなえ

全員に理解されるのはハナから100%ムリ(笑)

無意識のうちに良く思われようとするからしんどくなる。

だから全員に好かれる必要はない

保育士になってからも、そう思って仕事をしている方が、よくわからないけど、人間関係はうまく回るようになった。

社会人経験は無駄だった?~人生を通じて思うこと~

就職活動をしているころの私は

就職をして
決められた日に出勤して
決められた時間働いて
時には残業もして
月に一度の給料日に固定給をもらう

この雇われの働き方しか知らなかったし、これ以外に考える余地もなかった。

副業やビジネスの世界を知ってからは、絶対に脱サラしたいと思うようになったが、保育士や社会人経験はそれはそれで私にとっては必要な経験だった

社会での立ち回り方を学べたからだ

はじめからできる人もいるけど、私の場合は子どもの頃から人とのコミュニケーションが不足していたので、一旦実践の場で人との関わり方を勉強する必要があった。

はなえ

もうそれはそれは社会人になってからの数年間はポンコツで使いものにならなくて相当やばかった(笑)

きっと保育士になってはいけないタイプ(笑)

でも、もまれながらでも、私は少しずつ人間らしくなった?と思う。たぶんなれてるよね?(笑)

だから一旦社会人を経験しないと、副業やビジネスをやっても【何がうまくいかないのか】の原因がいつまでもわからなかったと思う。

出来事ひとつひとつを点で捉えて、

【これは失敗だった】

とか

【これは無駄だった】

とか言う人もいるけど、

それは失敗じゃなくて、一生の中の通過点であり、自分にとって必要な経験だと私は思う。

辛いことも、苦しいことも、色々あるけど、

はなえ

それを経験しないと次のステージには行けないってこと。

それは十人いれば十通りあるのが当然だから、「遅い」とか「早い」とか人と比べる必要はないと思う。

自分の道を歩いていれば問題ない

私だって色々と葛藤している。

私はここで【彼氏を捨てた】と明言した。

私は、恋愛に関しては【進展しそうになると嫌になる】というわけのわからないところがある(笑)

だからちょうど良い機会だったので、別れに踏み切ったんだけど、とんでもない奴だなと自分でも思う。

これも過去が影響してて、手に入れてもそれがなくなるのが怖いんよね、たぶん。無意識のうちに。

だから、家庭を持って、子どもを産んでっていう、いわゆる一般家庭を持つことが自分の中ではあんまりイメージがわかなかった。

もしかしたら本当は望んでいるけど、見て見ぬふりしているだけかもしれないし。

相手に失礼だと思うから、もう恋愛するのはやめようって思うんだけど、なんかこれが出会っちゃうんだよね。

勝手に去って来たので、未読が18件もある(笑)
そろそろ開けんといかんかなぁ。。。

はなえ

てな感じではなえはホントはひどい奴なんです(笑)

人生っていろんなことあるやん。
自分の力ではどうにもならないこととかさ。

そんなものを抱えながらも、一生を通じてこの人生は「私に何を学ばせようしてるか」って試されるのが人生やと思う。

人生の8割くらい辛いことがあっても、死ぬときに「良い人生やったな」って思えたら、もうそれは勝ち組✨

だから「私の人生は失敗だった」とか今、決め急がなくても良いと思う。

本来、人生というのは、心行くまで楽しむために与えられたもので

楽しむことが
生きている人に与えられた使命

やと思ってる。

はなえ

なんかスピっぽいこと語ってるけどスピとか知らんからね(笑)

現在の私のステージは、

ひとりでも強くたくましく生きていくため
何があっても揺るがない経済力を身に付けるため

それを得るために失敗は取りに行くつもりでやる

軌道に乗せるためには

何のためにビジネスをやるのか

はなえ

これが明確じゃないと継続するのは無理なのかなと。

貧乏という経験はもう十二分に堪能したから、今度は「自由に使えるお金がある」というのを私の人生経験にプラスしたい。

だから成功するまで
諦めないつもり

そのステージに行けたら、また考え方や価値観に変化があるかもしれないし、それを楽しみにしながら頑張りたい✨

そして、文章書くの苦手で疲れてきたからそろそろこの辺で終わりにしようと思う(笑)

副業の数々のやらかし案件は「なまいきくんとの出会い」のところに書いたから、良かったら覗いてみね♡

ここまで読んでくれた人いる?
いたとしたらかなりマニアックだけどw

この自己紹介のURLを貼ったポストをリポストして感想を書いて下さった方には、、、、、、、ごめんなさい特典はありません(笑)

はなえ

ありったけの愛を差し上げます♡♡♡♡♡♡

私を好いてくれる人には、私も困ったことがあれば力になりたいと思っています✨✨✨
私ではあんまり役に立たないかもしれないけどw

何か副業でも、人生でも、困ったり悩んでることや、単純に話したい!でもいいので、いつでもお気軽にDMくださいね✨

はなえ

貴重な時間を使って最後まで読んでくれてホントありがとうね♡